<<釈尊入滅時期考察>>

ー科学的根拠を基に、紀元前949年入滅説を鑑むー

令和の今、釈尊の入滅時期を再考させて頂きます。

日蓮正宗法華講員一個人主観によるサイトです。

提供:令和之常修房




釈尊入滅の年を正しく知る事は、仏教の基となります。



「末法」始まりの認識が、大切な仏教入門知識となります。

釈尊入滅後、千年間を【正法時代】

その後の、千年間を【像法時代】

それから後の、万年を【末法】

と言います。




ルンビニ村の釈尊の生誕地で耕作が興ったのが紀元前1000年前後



2013年11月25日「インド・ルンビニ」にて大発見(研究チームのリーダーで、イギリスにあるダラム大学の考古学者ロビン・カニンガム(Robin Coningham)氏)

 放射性炭素年代測定法により、測定する物体のほぼ正確な成立年代が、【26000年前まで】確認出来るそうです。釈尊の生誕地と伝えられるネパール南部ルンビニの発掘調査で、下記のような発見がありました。



放射性炭素年代測定法で、マヤデヴィ寺院の「木造遺跡」、「柱の穴」、「巨大な木の根」、「レンガ造りの礎石」を検査した結果、下記が分かった。


・ルンビニ村の釈尊の生誕地で耕作が興ったのが紀元前1000年前後
・紀元前6世紀のものとみられる木造仏教寺院の痕跡
・この古代の木造遺跡の上に、同じ形のレンガ構造の寺院が存在する。古代のレイアウトを複製している。
「つまり、仏教の聖地としての連続性を示している」とカニンガム氏は解説する。
・紀元前3~7世紀ごろのレンガ造りの礎石
・柱の穴ができたのは紀元前800~545年


これまでの釈尊入滅諸説


「周書異記」について


釈尊の生誕地、詳細考察(釈尊生誕から教団成立年代)


阿育王は「ピヤダシ王」という王の異名なのか?<摩崖法勅の信憑性>


阿育王碑文の異名「天愛喜見王/ピヤダシ王」について(富士学報33号)


「衆聖点記」による佛滅説について


ジャイナ教との時代差異に問題がない理由

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